弁護士紹介

私は、生まれも育ちも会津若松市であり、大学進学を機に上京しました。
そして、司法試験合格を機に福島県に戻って参りました。
出身地で弁護士を行いたいと考えたきっかけは生まれ育った会津の方々のために少しでも力になりたいとの素朴な思いからでした。
そのために、郡山市所在の遠藤大助法律事務所で約3年8ヶ月研鑽を積みました。
そして、当初の念願をかなえるために生まれ育った会津若松市に事務所を開所することとなりました。
会津地方にお住いの方の司法アクセスを少しでも良くすることを目標に、分かりやすい説明、明確な弁護士費用、フットワーク軽い対応を目指しております。

弁護士プロフィール

趣味

読書

ジャンルを問わず、本を読むように心がけてはいるものの、最近歴史に偏った選択になってきてしまっています。
小説フランス革命、百田直樹先生著書、万城目学先生著書は何回も読み返しています。

天体観測・プラネタリウム

星空を眺めていると、そのスケールの大きさから頭の中を空っぽにできます。
会津の空はとてもきれいなので眺めるのをとても楽しみにしています。

囲碁

小学生から頭の体操で始めたつもりが一時期のめりこみ、大学時代のテスト前に徹夜してしまい危うく単位を落としかけたくらい集中できる趣味です。
同い年に国民栄誉賞を受賞した井山裕太先生という日本人トップの方がおり応援しています。

経歴

平成17年3月
会津若松市立一箕中学校卒業
平成20年3月
福島県立会津高等学校普通科卒業
平成24年3月
中央大学法学部法律学科卒業
平成26年3月
中央大学法科大学院修了
平成26年9月
司法試験合格
平成26年12月
最高裁判所司法修習生採用(第68期,福島修習)
平成27年12月〜
令和元年8月
遠藤大助法律事務所勤務
令和元年9月
山口大輔法律事務所開所

弁護士 山口大輔ってこんな人

出身地は会津若松市一箕町になります。実家の周りは田んぼに囲まれており、実家も農家をしていました。
子供のころは7人家族で大家族の中育ちました。聞き分けのよい子供だったようで、親族からはほんとに手のかからなかった子供だったといわれます。食べることと寝ることが大好きで、食べ物を食べているときは特に静かだったようです。

小学校の頃

寝る子はよく育つという言葉通り、小学生のころから体は大きかったです。
小学生くらいですと、体が大きければ運動もできそうなものですが、運動はからっきり苦手でした。この業界におりますと、基本は小学校のころから、勉強においては神童扱いされており、苦なく司法試験に合格された方に出会いますが、私は元来ののんびりした性格のせいか、おかげかわかりませんが小学生の頃は可もなく不可もない生徒でした。
将来の夢を考える授業の際に、漠然と人の役に立ちたいとの思いを抱くようになりました。小学生にとって人の役に立つ職業の代表といえばお医者さんですが、もともと病院が嫌いということもありお医者さんになるとの夢を持ったことはありませんでした。そんな中で、どういうきっかけだったかははっきりと覚えていないのですが、困っている人を法律を使って助ける弁護士という仕事があることを知りました。のんびりはしているものの、のめりこむとひたすらにまっすぐ進む性格が幸いし、次第に勉強するようになっていきました。このようにして可もなく不可もなくな生徒は少しずつ可が増える生徒になっていきました。これを手助けしていただいたのは、小学校6年生から高校まで通ったくわの学習塾の先生方です。厳しくも暖かく指導してくれる先生方に出会わなければ今の私はなかったです。

中学校~高校の頃

小学生の時に決めた目標に向かって地道に前に進む中学高校時代を過ごしました。
ここで大きな問題となったのは、文系科目(小学生時代からのめりこんだ社会科は除く)より数学、理科の方が好きである上に得意だったことでした。進路にもかなり悩みましたが、結局は純粋というのか頑固というのか当初定めた目標のために、法学部がある文系を選びました。
このように話すと非常にまじめな生徒に思われるのですが、高校時代は、放課後になれば近くを流れる川で、食べれもしない魚を釣るために何時間も河原に座る生活をしていました。あのなにもしなくていい時間楽しかったなーと今でも思い返します。この時、一緒に座って釣りをしていた同級生とは今でも仲が良いので、一緒にいる時間が長ければ大概仲良くなれるというのはあながち間違いではないなとおもっています。そんな彼は、研究者になっており数年に一度しか会えないのが寂しい限りです。

大学時代、司法試験に向けて励んでいた頃

大学時代は、旧司法試験が受験できる最後の学年であり、どうせやるなら合格を目指そうと思い、1年生から勉強に励みました。幸いにして、進学先の中央大学は、学内の学習支援が整っており、予備校代等の費用をかけることなく勉強ができました。
大学時代は、司法試験受験団体といかにも固そうな肩書のサークルに属していましたが、私の所属団体は、他の団体が学園祭中でも勉強する中、焼きそばを売る非常にフットワークの軽い団体でした。私も焼きそばを焼き夜には仕込みをして楽しんでいました。一人でお肉を切りすぎ手の骨にひびが入ったのはいい思い出です。
そのような大学生活でしたが、結局は司法試験の勉強が生活の大半であり、この時出会えて一緒に勉強できた仲間たちは一生の友人です。目標にしていた旧司法試験合格はかないませんでしたが、大学時代に出会えた仲間たちの大半とは、同じ中央大学の法科大学院に進学でき、2年間ともに勉強した成果で、卒業1年目に司法試験に合格することができました。
司法試験合格の瞬間は可もなく不可もなくな子どもが12年かけて目標を達成した瞬間でありました。合格発表を見るのが怖くて前日お酒を飲みすぎ発表時間を大幅に超え寝坊したため、不合格の心配をされたのはいい思い出です。その節は皆さんすみませんでした。

司法修習生~独立するまでの経緯

漠然と困っている人の役に立ちたいとの思いから、弁護士になるとの目標をかなえたのですが、どうせなら育った地元に少しでも恩返しができればとの思いで、福島修習を第1希望に記載し、希望通り福島市で修習を行うことができました。
修習中は暇さえあれば福島の日本酒を飲んでいるあまりまじめな修習生ではなかったと思いますが、周りの方々のご指導もあり、無事修習を終えることができました。修習後は郡山市所在の遠藤大助法律事務所に3年8月お世話になりました。多大なご迷惑をおかけしましたが、様々な経験をつめました。
このような経緯で、地元会津若松に戻ってまいりました。お話ししてきたように、私の人生は人とのご縁で成り立っています。今後はご依頼者の方にとって私との出会いが良いご縁であったと思っていただけるよう日々業務に邁進いたします。